たまごビル健康講座                       平成25年9月7日

    
被災地の問題点とその解決方法    ~看護の観点からみた~ 

                フローレンス・ナイチンゲール記章受賞

                       川嶋 みどり 先生
【 川嶋 みどり先生のご紹介

   日本赤十字看護大学名誉教授
   健和会臨床看護学研究所
  日本社団法人 て・あーて推進協会

  現在の学会活動 
     日本看護歴史学会理事長 
     日本赤十字看護学会副理事長  
     日本統合医療学会副理事長 

  著書 
     「看護の力」(岩波新書) 「キラリ看護」(医学書院)
     「生き生き実践楽しく看護研究」 「触れる,癒やす、
         あいだをつなぐ手」 (看護の科学社)

  受賞
      昭和46年  第1回毎日新聞社「日本賞」
      平成7年  第4回若月賞
      平成19年  第41回フローレンス・ナイチンゲール記章
【東日本大震災】 (2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震と津波、余震による大規模地震災害)
 2011年3月11日東日本大震災が発生しました。4月27日に現地に入った川嶋先生は、360度何もない所に立ち尽くし、何かしなければならないのに、何もできないことに愕然としました。しかし、震災に関係ない自然の営みの中に、自分たちにも何か出来ることがあるのではないか、役に立てることがあるのではないかと決意されました。既に現役をリタイヤしている看護師有志たち(元看護部長、大学教官ら)を募って、5月から10人ほどで現地に行き、現在まで(平成25年9月)2年5か月間にわたり被災地で活動されています。

 被災地での状況は、発生時と現在ではずいぶん変わってきています。発生直後では、従来の災害救護看護の範疇をはるかに超える状態でした。電気も設備も何もない所では、現在の看護ではとても対応出来ない状況でした。
真っ暗の中で、常に発生する余震、ガス爆発、火災などの中で、情報が全く入ってこず、「助けて」ということも発信できず、孤立感が高まり、食糧不足で空腹、覚めない悪夢の連続する中で、看護師が自分の家族の安否不明の中での看護活動。そして重症患者が次々と運び込まれ、生命との格闘。濡れた体を温め続ける死の恐怖のなかでの看護活動。極度の疲労。救えなかった命に対する悔い、そして得た教訓。

       
 
【医療と看護】
そこで考えなければならなかったことは医療と看護の本当の意味です。
「医療とは、医術を用いて病気を治す」とありますが、何もかも無に帰した被災地の経験から、電気や機械がなければ何もできない現在の医療を見直し、新しい医療改革のきっかけにしなければならないと思い至りました。
日本の医療の現場を見てみますと、効率性に価値をおく医療風土があり、患者その人のニーズに真摯に向きあう看護の姿を変えてしまいました。看護師がコンピュータのディスプレイを見るだけで、患者さんの体に触れたり、お話を聞く姿から遠のいてしまいました。バーコードで本人確認をしたり、患者が「胸がくるしい」と言っても、「どこが苦しいですか」と聞く前に検査機で脈拍や血圧を見るだけで、患者を見もしないで判断する傾向。患者に手で触れ、癒やし、慰める方法から遠ざかった看護。患者さんの気持ちや苦しみなど、患者さんの声から遠のいている看護師の姿があります。
 医療でも、原因不明の疾患、治らない難病の方や、命は助けてもその後植物状態や高次機能障害になっている患者さんたちが、そのまま放置されています。がん難民といわれる様に、がんの手術は成功しても、その後どうしていいか分からない方たちが巷には沢山溢れています。そのような方たちに対して看護は何かをしなければならないと思っています。

ここで、看護を考える時、原爆投下2ヶ月後の長崎で得られた永井 隆 先生の重要な資料があります。
 環境が予後を左右するデータです。各場所による死亡率です。
    現場小屋    50%
    自宅       13%
    他家臨時避難  27%  
  環境により、死亡率が大幅に違っています。環境が良くなれば死亡率は下がりますが、悪い環境では
  大幅に死亡率が高くなっています。これが、看護の重要なことなのです。

治す医療ではなく、治る医療へ。機械依存ではなく、人の手を使った医療に行かなければならないと思いました。
ナースとして、患者さんの悲しみや苦しみと向き合ってどうしたら良いかを考えること、最終的には、人間が人間をケアするということの意味が、これほど問われている時はないと、被災を通して考えました。そこから、やさしいケアに行かなければならないことを問われた感じでした。
       
 
【歴史の教訓から学ぶ】
クリミアの天使、ランプを持った貴婦人ナイチンゲールは看護を変えた偉大な看護師です。

1853年ヨーロッパのトルコで、ロシアとイギリス・フランスが対抗するクリミア戦争が起こりました。
多くの兵士が負傷しました。
衛生観念が欠如していた当時、スクタリ陸軍病院では、上下水道からの汚物の悪臭が立ち込め、床はぼろぼろ、塵埃がこびりついた壁、ところ構わず南京虫という惨状でした。あらゆる欠乏、医療材料も日用品も皆無。
怠慢と混乱がひしめいて、無能な医師、官僚主義に麻痺した役人、そして疲労困憊した少数のスタッフという状態だったのです。その結果、負傷兵の約40%が死亡するという悲惨な状態でした。

ナイチンゲールは38人の部下を連れて現地に向かいました。そして、現状の改善にあたりました。
ナイチンゲールの初期判断は環境の改善だったのです。
 「早く可哀想な人の看護を」から「1番丈夫な人たちは洗濯ダライにかかってもらいましょう」と、直接な看護よりも洗濯が重要と説きました。

ナイチンゲールは、「兵士たちが不潔な状況では病気も治らない」と、本当の看護を教えました。
病衣、シーツ、必要な日用品を調達し、兵士らの身辺の清潔と療養環境を整え、苦痛の最も激しい病者のところ、 助けの必要な兵士のところには、必ずナイチンゲールの視線がありました。不屈の意志と情熱での濃密な行動により、世界中に看護の価値を発信しました。

傷病兵の死亡率は40%だったのですが、ナイチンゲールは看護=環境改善を行い、たった半年で死亡率を2%に低下させました。看護の本当の力なのです。
しかし、晩年ナイチンゲールはクリミアで沢山の兵士を死なせてしまったことを悔い、死因の分析を始めました。原因は、余りにも悪い環境の所に沢山の兵士を詰め込みすぎたための感染症でした。そして書かれたのが「看護覚え書」です。看護の基礎として150年たった今でも大切な本です。

 
ナイチンゲールの本「看護覚え書」を現代看護・介護に活かそう】

自然の回復過程を整え、病気を予防する思想は現在の統合医療の理念です。
人の健康に直接責任を負っている女性が自ら学ぶことの価値に基づいて考えるヒントが豊富に書かれています。

      

序章にみる論理

☆全ての病気は回復過程である
☆病気の症状は、看護不足・不在によって生じる
☆患者の生命力の消耗を最小に整えることが看護
☆看護技術は、上記のことを実践できるよう、諸々の調整を図ることをも含む
☆薬を与えることは何かをしたことであり、看護をしたことは何もしていないこと?
☆人間の心に関する法則は、終日われわれの観察のもとにあるにも関わらず、少しも理解されていない

全ての病気は回復過程である
  病気とは、毒されたり衰えたりする過程を癒そうとする自然の努力の現れである。
  患者に現れる症状や苦痛は、この自然の回復過程をうまくすすめる要素の1つまたは全部が
  欠けていることによる。
人間の個体の癒そうとする独自の働きの中断が病気であり、生じる苦痛は看護(世話)の不足であるとするなら
   -  看護が病気を癒し、苦痛を和らげる。
看護をしたことは何もしていないこと?
 看護をすれば、病気にならない。何も起こらないので、軽く見られがちである。病気になって、病気を治す
 と注目されるが、病気にならないようにするのが、すぐれた看護であり、もっと重要視されるべきことである。

現代看護の現状は

自動化技術を全面導入した高度医療のもとディスプレィ上のデータ注視に埋没し、効率性に価値をおくあまり、
“見ない、触れない、聴かない”ことに慣れた看護のありようは、回復過程を妨げるものであり、病気以外の苦痛を看護がつくりだしているとはいえないか。
診療報酬を効率よく得るための医療体制の中で、診療報酬を得るための単なる医師の補助としてしか機能していない看護の姿があります。看護の意義を意味を考え直さなければなりません。

 
【川嶋みどり看護師の新人時代に体験した貴重な事実】

看護の基本。コップ1杯の熱湯とタオルがあれば
9才の少女が入院しました。背中の腫瘍で、瀕死の重症でした。土気色の顔で、体をまるめ、小さな声で「痛いよう~」「だるいよう~」と言うだけの状態でした。
だるいのならと、足をさすると、ざらざらでした。体が洗えなくて不潔な垢だらけの状態でした。
しかし、脈も弱く、全身を洗うことも危険な状態でした。そこで、足先から少しずつ洗い始め、1週間かけて全身をきれいにしました。すると、少女は「お腹がすいた」と言ったのです。驚いたことに、脈拍も回復していました。
手術は出来ず、少女は9才の短い人生を閉じました。しかし、あの垢だらけの体をまるめ、「痛いよう~」「だるいよう~」としか言えなかった少女が、きれいな体となり、食事を楽しみ、普通の9才の女の子として過ごすことが出来ました。これが看護の本当の力です。

       

 
【看護技術による最高の治癒への確信

体をきれいにすることが、気持ちよさを体感しつつ免疫力をアップさせる。
熱湯とタオルがあれば、安楽、症状緩和、闘病意欲の動機づけ、食欲を引き出し、コミュニケーション能力を向上させることができる。
ナイチンゲールの言葉 
 「生命力を圧迫していた何者かが取り除かれて生命力が解き放たれた、まさにその徴候のひとつ」

看護の原点
人権・安全性・安楽性をふまえて、その人固有の自然治癒力に働きかけるのが看護である。
その具体的な手法の第一歩が看護師の手を用いたケアであり、究極が手のケアである。
変化がなければ、つらいことばかり考えてしまうのが病人。体が心に及ぼす影響と、心が体に及ぼす影響を
もっと重要視しなければならないのです。究極の看護は、看護師が手を用いて行う看護です。
 手は、いやし、なぐさめ、はげまします。
 
 

 
東日本大震災からの教訓

現場発の看護・介護の連携システム
 看護・介護はケア(世話する)という共通語でつながっています。
 介護保険が出来てから、医療と看護、そして介護に分けられてしまいました。看護が医療の中に組み込まれ、介護が 分離されたため、利用者を惑わせる利用しにくいシステムになっています。
 看護と介護は、受け手の視点から見ることが大切であり、包括支援システムを構築しなければなりません。
 看護の必要な所には看護、介護の必要な所には介護をと、上手に組み合わせ、利用者が便利に受けられる
 システムが求められています。

求められるコミュニティ力

仮設住宅は一時的なものだから、コミュニティが必要なのです。
仮設住宅では、プライバシーの問題から、表札も上げられないのです。同じ地域に住んでいても、孤独な
存在になってしまいます。つながって相手を思うコミュニティ作りが必要です。支え支えられる関係が
生き甲斐になり、孤独感、絶望感からの救出になります。

求められているコミュニティ
 ①共通の地域で生活の場を持ち 
 ②住民としての自主性と主体性と責任感 
 ③居住地域への帰属意識 
 ④ゆるやかなつながりを持って生活し 
 ⑤明確な境界を持たない共同体をいう。

      
     

 顔の見える関係が被災地には必要なのです。高齢者・障害者・弱者にやさしいコミュニティ。子育てを地域で行う、高齢者のケアを地域で行うことが大切です。
仮設で気づいたことは、共に語ったり、つくったり食べたりしながら相互交流が図れ、他人を気づかう間柄が生まれることでした。小さなコミュニティのゆるやかなつながりが、いざという時の相互支援に通じることを発見し、ケアを媒介にして扉を叩けば開いて頂けることを実感しました。

手のケアへの回帰 TE-ARTE の思想と実践 】

多くが流失し損壊した被災を契機に、余りにも機械や電気に依存してきた現代医療のあり方を根本から問い直し、19世紀にナイチンゲールが主張した「自然の回復過程を整える」看護の力を発揮させたいと強く願っています。その1つの方法が、手を用いたケアへの回帰です。じっと手を当て、さすり、握りしめ、軽く叩くなどして、病人の苦痛を癒やし不安を和らげてきた手の価値を、看護師だけではなく世界中の母親たちにも広めたいと願います。


   

              

   
 
【川嶋 みどり 先生の本】

看護師はもちろん、主婦、看護や介護に興味のある方など、どなたにでも役に立つ本です。




      

 
川嶋 みどり 先生 ありがとうございました